「第1回華東地域笹川杯知識クイズ大会」についての感想文
南京大学 外国学院 日本語学部 4年 禹静菲 (団体戦優勝)
多彩な知識とのめぐり合い
盛大なクイズ大会はやっと終わりました。忙しくトレーニングする毎日、緊張して眠れない試合の前夜、激しく競い合った試合当日を振り返って見ると、今でも、心の中がドキドキしています。 このクイズ大会を通して、自分の知識の貧弱さに気付き、トレーニングする過程の中で、いろいろな本を読み、その面白さを感じ、これからもっと勉強しなければと決心しました。歴史の問題で、飛鳥時代とか、奈良時代とか、鎌倉時代など、各時代の年代区分やその時に発生した事件について、はっきり分かるようになりました。また、社会問題では、「少子化社会対策基本法」や「郵政民営化」などで、日本社会の各方面も捉えることができました。今回の日本知識クイズ大会の参加を通じて、日本語の語学知識だけでなく、日本に関するあらゆる知識について濃厚な興味を持つようになりました。 このような試合では、パートナーとの協力がもっとも重要です。三人が責任を分担して、それぞれ歴史•文学•政治と社会の部分を担当していました。各自は自分の得意な分野について、もっと深く知るように力を尽くしました。そして、試合の時も役を割り当てて、一分間問題を答えました。色の付く慣用句をより多く書くために、三人は赤•青•黒一人に一つの色を書くことにしていました。また、早押しボタンの押し方までも工夫してよく協力しました。パートナーたちの協力と先生のご指導があってこそ、今日の成績を取れたのです。 このクイズ大会に参加して、知識を豊かにしたばかりでなく、パートナーシップや友好的な競争精神などの能力を鍛えることができて、本当によかったと思います。
南京大学 外国学院 日本語学部 4年 高静 (団体戦優勝)
クイズ大会に参加することができて幸せだ
「自分は自分の最大なライバルである。」という名言の影響か、私は自分を挑戦することが好きです。だから、私は今まで、いろいろなコンテストに参加したことがあります。例えば、南京市大学生日本語スピーチコンテストや中国人の日本語作文コンクールなど。いつも珍しい体験ができ、日本語の勉強にもなって、そのような自分が本当に幸せだなと思います。 しかし、その中で一番幸せだと思うのは、やはり南京大学の選手として、今回の「華東地区第一回笹川杯日本知識クイズ大会」に参加したことです。なぜかと言えば、今回のクイズ大会を通して、私は日本の歴史、文化や文学の知識についていろいろ勉強になると同時に、団体の中の緊密な協力もしみじみ感じましたから。 クイズ大会は、必須問題もあれば、早押し問題もあります。わがチームは、早押し問題の重要性を認識して、「早押し問題だから、一番重要なのはライバルより早くボタンを押すことだ」と思っています。だから、司会者は問題を読む時、わがチームの三人の手が全部早押しボタンに置き、もし一人が答えられたら、ボタンを押すことにしました。チームワークの力はその時見事に発揮したようで、減点されたことがあったけれど、ライバルもわがチームの勢いに押し倒されました。結局、わがチームが圧倒的な優勢で勝ちました。 日本語を習った以上、ぜひ日本へ行きたいと思います。だから、賞杯と日本への招待状をいただいた時、私は本当に言葉もでないほどうれしかったのです。笹川会長がおっしゃったとおり、政治家のせいで、最近の中日関係が難しい局面をむかえています。この時、草の根レベルの交流はとても重要だと思います。だから、この「笹川杯クイズ大会」のような中日友好を促進するための交流活動は、もっと多くなるように心から祈っております。
南京大学 外国学院 日本語学部 4年 劉丹 (団体戦優勝)
優勝は皆のおかげだ
この前行われた図書贈呈儀式及び華東地区第一回「笹川杯」日本知識クイズ大会が円満に閉幕しました。嬉しいことに、僕はもう二人のクラスメートと一緒に南京大学の選手としてクイズ大会で優勝して、優勝カップを自分の学校に留めることができました。 後は、日本からの方々が「今回のクイズ大会は初めてですが、とてもうまくやりました」とおっしゃったそうです。私たち三人も試合でよく頑張ったと先生に褒められました。しかし、私たちがただ一つの役を演じただけ、練習を何回も繰り返して付き合ってくれた先生と試合の二日間、後方勤務を務めてきた熱心なクラスメートのほうが褒められるべきだと思います。 皆さんの関心と応援なくしては、私たちが試合で勝てるわけはありません。だから、皆さんに「お疲れさまでした。どうもありがとうございます。」と感謝の意を申し上げたいです。
南京大学 外国学院 日本語学部 助手 庄倩 (司会者)
万全を期して臨んだ司会の大役
南京大学が今回のクイズ大会を開くということを聞き、とてもうれしく思ったのですが、司会の担当を依頼されてとすごく緊張で心細く感じました。これまで学校のコンサートの司会を何度も経験したことがありますが、日本語で司会をするのは初めてでした。 自信がなかったため、できるだけ十分な準備が必要と考え、まず、クイズ大会の手順とすべての規則を理解し、司会進行役としてのスピーチ内容を用意することに着手しました。その準備の中で一番難しいのは、いろいろな場面を想定しなければならないことでした。例えば、選手が問題に答えられない場合とか、早押し機械が故障してしまった場合には、機転を利かせてどう言ったらいいのかと、いろいろ考えました。 次は、それらを中国語に翻訳することです。パートナーの李さんと私が、簡単ではっきりした日本語を使って、大会の進行がスムーズに行くようにと考えて、何度も喫茶店で時間をかけ、検討を重ねた結果、20ページに及ぶ進行表がやっと出来上がりました。 クイズ大会当日がきますと、いくら準備をしたとしても、心臓がどきどきでした。「緊張しないで、緊張してはだめよ。笑顔、笑顔、笑顔だ」と自分に言い聞かせながら、パートナーの李さんと一緒にステージに上がりました。 予備戦でも決勝戦でも、いろいろな状況が出てきましたが、すべて前もって準備しておいたおかげで、今回の大役を無事に勤めることができました。 「どうですか。」と後で学部の先生たちにお聞きして、「すばらしかったですよ」とほめられました。お世辞かもしれませんが、とてもうれしかったです。これまで気がつかなかったのですが、今回の活動を準備していた間は、とても充実していて楽しかったです。また、今回の大会を通じ、司会の経験を増やすことで、日本語知識がさらに深まったことは、とてもよい勉強になりました。今度もぜひこのようなクイズ大会に参加したいと思っています。
南京大学 外国学院 修士課程 李涛 (司会者)
クイズ大会のおかげで勉強不足に気がついた
司会を担当することになったとき、気持ちが大変複雑だった。いままで習ってきた日本語と知識を発揮する絶好のチャンスだと思ったが、もし失敗したらどうしようとプレッシャーを重く感じていた。しかし、やはりやることにした。それ以来、興奮と緊張の中で二ヶ月を過ごした。毎日、クイズ大会の準備に忙しかった。 クイズ大会の問題文を手にした時、読んでみて、読めない単語ばかりで、大変ショックを受けた。もう院生なのに、知らないことがこんなに多いとは思いもしなかった。そこで、辞書で一つ一つの単語を調べることにした。辞書を引けば引くほど自分の勉強不足に気がついた。例えば、「封地」をずっと「ふうち」と読んでいたが、辞書を引いてはじめて、「ほうち」と読むことがわかった。このようなことが数え切れないほどあった。 クイズ大会の日が近づくにつれて、風邪を引かないようにと先生に注意された。皮肉なことにその日から風邪になってしまった。早く直らなければと思って焦ったが、どうしても直らなかった。扁桃腺が腫れて、のどが痛かった。毎日声を出して問題文を読まなければならないので、声が出ないようになってしまった。もし、11月5日までに直らなかったら、どうしようと思ううちに、時間が過ごしていった。 初めてのリハーサルは緊張のあまり、うまくできなかった。先生たちの失望したような目つきを見て、涙が出るほど辛かった。その夜はよく眠れなかった。それで毎日練習することにした。 日々の練習の結果で、大成功とはいえないが、クイズ大会の司会をなんとか無事に務めることが出来た。「以上を持ちまして、決勝戦を終了させていただきます」といった途端に、ほっとした。二ヶ月も不安であった気持ちが充実な思い出に変わった。 今にしてみれば、私にとって今回のクイズ大会の一番大きな収穫は自分の勉強不足に気がついたことだ。だから、これから、自分の勉強にもっと力を入れて頑張っていこうと決意した。
南京師範大学 日本語科 4年 袁凱 (団体二等賞)
華東地方における第1回笹川杯日本知識クイズ大会についての感想
2002年9月に南京師範大学日本語学部に入ってもう三年、今は卒業を控えた四年生になった。今年の11月、華東地方における第1回笹川杯日本知識クイズ大会が南京大学で行われ、華東地方の九つの大学が参加することになった。 最初に、選手に選ばれた時は喜悲半々の気持ちであった。まず、日本語を勉強している一人の学生にとって、「クイズ大会に参加するのは日本語学習のありがたいチャンスである。一方、参加するチームは全部華東地方の大学の日本語専門の学生で、みんな強いライバルである。「私は南京師範大学を代表できるかな、先生やクラスメイトの待望を裏切るかもしれない」と思って、少し心細かった。 しかし、先生方をはじめ、クラスメイトから親切な指導や励ましを受け、私の不安がだんだん吹き飛ばされ、自分にも自信がついてきた。結果を問わず、引き受けたからには、全力を尽くしてやりましょうと思った。 11月4日の当日私達3人が心をどきどきしながら、大会の選手席に着いた。大会の第1日の各チームの得点によって、九つのチームから三つを選び、第2日の最終戦に参加させることになっている。第一日のクイズの問題は答えなければならない各自問題とボタンを押して答える早押し問題からなっている。日本の地理、歴史、文化、文学、日本語知識など様々な問題があり、実に幅広い。特に、早押し問題の時は、知識だけでなく、聴解力や臨場の冷静さも要求されている。初戦でわがチームは115点を得て、三江学院と同じ点数で第三位になった。大会の規則に即し、もう一問で決戦に参加するチームを決定することになった。再び選手席に着き、観衆席に座っていた先生と応援団のクラスメイトを見て、もう緊張というものはすべて忘れた。「この一問こそ、落ち着いて答えなくちゃ」と自分で自分を励ました。「日本の高校生の野球甲子園はどこで行われるか?」と司会が問題を読み、思わずボタンを押した。「兵庫県です。」司会が「正解!」を言い出したとき、喜びのあまり席から立ち上げた。第2日の決戦で三つのチームの競争はいっそう激しくなった。残念ながら、私達は南京大学に負け、2位に入った。 選手席から外したとき実に胸いっぱいだった。このようにみんなが集まり、日本語を楽しむことは本当によかったと思った。日本語は実に難しいとつくづく感じられた。が、この難しい日本語をやってきて良かったなあという実感も湧いてきた。今回のクイズ大会を通して、私は素晴らしい経験をすることができ、自信を持てるようになりました。これからも日本語の学習という奥の細道を精一杯進んで行くと思う。
南京国際関係学院 日本語学部 4年 王孟禕 (団体三等賞)
「華東地域第一回笹川杯日本知識クイズ大会」についての感想
まさしく「光陰矢のごとし」と言われるように、2001年9月に念願の国際関係学院日本語学部に入ってからもう四年になりました。今までの大学生活を振り返ってみると、幸せなことがいっぱいあるような気がします。しかし、その中で一番幸せだと思われるのは、国際関係学院の選手として、今年11月5日南京大学で行われた「華東地域第一回笹川杯日本知識クイズ大会」に参加し、いろいろ勉強になったことです。 一ヶ月前のある日、日本語教研室の周先生の所から、11月5日に華東地域第一回笹川杯日本知識クイズ大会が開催されることをわかりました。選手と指名された時は喜悲半々な気持ちでした。それは、日本語を勉強している一人の学生にとって、このような盛大な大会に参加するのは自己挑戦と学習の有難いチャンスになるのですが、それと同時に、初めてこのような大役を担当し、みんなの期待に報いられるかどうかと心配で心配でいられなかったのです。しかし、先生方からのご指導、友達からの親切な励ましが支えとなって、いろいろな不安もだんだん吹き飛ばされ、自分にも自信がついてきました。その間、先生のご指導に従って、三人お互いに励ましながら毎日夜遅くまで日本に関する知識を準備してきたのです。 ついにクイズ大会の日を迎えました。参加チームは華東地域にある各大学、或いは語学専門学校の日本語専攻の学生で、皆強いライバルだったし、クイズ大会に、早押し問題のような問題もいろいろあって、本当にむずかしい対戦でした。けれども、「備えあれば憂いなし」の通り、うちのチームはうまく乗り越え、華東地域の第三位を取りました。賞杯と賞状をいただいたとき、感動してうれしくてたまりませんでした。 今度、いいチャンスに恵まれて、大切な経験を積み、とてもよかったと思います。そして、もっとも幸せだと思うのは、たいしたことではありませんが、中国で日本語を勉強する学生のために、更に中日友好のために力を尽くしたことです。私たちに日中関係をより良い関係にしていく責任もあるのですね。 この「笹川杯クイズ大会」が中日両国の友好のために長く続くことを心から祈っております。有難うございました。