「第2回華東地域笹川杯日本知識クイズ大会」優勝大学からの感想文
寧波大学 外国語学院 日本語科 大学院1年 林燕 (司会者)
時間と競う
去る9月13日、寧波大学を卒業してから四年ぶりに、修士課程の勉学のため、私は母校に戻りました。二日後の15日に、まだこの四年間の母校の目覚しい発展に感動させられている私は、突然先生からのお電話をもらいしました。「華東地域第二回笹川杯日本知識クイズ大会はわが校で開催されるので、君に司会の役を務めてほしい。予選は22日、決勝戦は翌日の23日です。」これを聞いて、私の念頭にあったのはただひとつだけでした。準備できる時間は一週間しかない、どうすればいいの。肩にはすごく重荷を感じました。母校に恥をかけないように、限り有る時間と競って、最大限の努力を尽くすほかない。すると、私は先生と打ち合わせをして、まず大会の進行ルールや規則についていろいろ考えました。予め本番のときに出てくるかも知れぬいろんな状況を想定して、それにどうやって対応すればいいのかをいちいち検討しました。 予選の日がとうとうやってきました。あまり緊張しすぎて、間違ったところがたくさんありました。「このままでは明日の決勝戦どうするの」。先生にそう言われて、涙が出てくるほど悔しかった。決勝戦まで後20時間しかない。今度こそ頑張らなきゃ。私はとことんまでやる覚悟をして、読んだり覚えたり、必死に練習しました。知らず知らずのうちに、夜10時になってしまいました。 本番がいよいよ来ました。先生は「『ゆっくり、はっきり』の原則を覚えてやってください。」と私を励ましてくれました。わたしは先生の優しい目つきから力を得て、微笑んでステージへ上がりました。 決勝戦は無事に終わりました。わたしは肩から重荷を下ろしたかのように、長い息を吐きました。いつでも、どこでも、自分の最大限の努力を払って、後悔しない人生を送っていくべきです。これは私が今回の体験から得たもっとも貴重なものです。
寧波大学 外国語学院 日本語科 大学院1年 周堯 (司会者)
司会者として勉強になったこと
今度、司会者として勤めたことは、私にとって本当に勉強にいいチャンスで、忘れられない経験でした。壇上に立った最初は、ちょっと緊張しておりましたが、大会の進みにつれて、完全に大会の雰囲気に溶けて、緊張感もなくなりました。選手たちのすばらしい答えにびっくりさせられました。こんな大会は日本語を勉強しているわたしたちにとって自分の学んだ知識を証明することのいい舞台だとしみじみと感じました。 大会の前に、どのように司会をしたらいいのか、分らないことなどいろいろ日本人の先生から教えていただきました。そして、一緒に司会をする林燕さんと練習するときも互いに相手の足りないところを指摘して、万全のやり方を検討しました。メンバーとの協力、一緒に頑張ることの大切さを切に感じました。 私の出身校は長春師範学院でしたが、あそこには日本財団の賛助により日本科学協会から贈呈していただいた本の専用図書室があります。その図書室で、はじめて原版の日本語の本を読みました。その楽しさはいまでもはっきりと覚えています。それから、その図書室で日本語の本を読むことは、わたしにとって一番楽しいことでした。今は院生になりましたが、もっといろいろな本を読んで、自分の好きなテーマを研究していきたいと思います。 今度、日本を観光する貴重なチャンスもいただいて、五年間ぐらい日本語を勉強して作った日本像をこの目で見ることができるようになって、私にとっては本当に夢のようです。これからは、8日間を活かして日本でいろいろなことを見て、もっと日本語の勉強をがんばりたいです。
寧波大学 外国語学院 日本語科 4年 陳文君 (団体戦優勝)
クイズ大会のおかげで日中交流に詳しく知った
『華東地域第二回笹川杯日本知識クイズ大会』の選手に指名されて、私たち三人はそれぞれ自分が得意な知識分野を準備していました。私が担当する部分は日中交流の分野です。準備すればするほど、日中交流について言いたいことがいっぱいになりました。 日中両国はアジアの国で、文化で同じ部分が多くて、同じ血が流れている兄弟と言えるでしょう。日中という兄弟は、二千年余りという長い年月を渡って仲良く付き合ってきましたが、今は時々けんかしているようです。けんかすることは一人だけのせいとは言えないと思います。両方とも責任を持っているでしょう。そして、なぜ二千年余りの友好が続いたかということについてよく考えると、交流がうまくできたからだという答えがすぐ思い出されるでしょう。たとえば、遣隋使、遣唐使など。それで、今、どうしてけんかしているかということについて、答えがはっきり出されるでしょう。 まず、政治の面です。日中両国の国民は誰でも日中両国が政治の面でうまく行っていないということを知っています。日本の政治家は日本なりの考えがあるとともに、中国の政治家も中国なりの考えも持っています。だから、近年政治の面での交流はあまりうまく行っていないと思います。 それから、民間の面です。日中両国の民間交流は笹川会長のような人間がいらっしゃるから、うまく進んでいます。でも、日本知識クイズ大会のような民間交流は活動に参加した人以外には余り知られていないようで、両国の国民に知らせるのは、メディアの責任だと思います。 私は両国の交流がうまくいけるようにと心から祈っています。そして、日本語を勉強している私たちは、両国が仲直れるように力を尽くすべきだとしみじみと感じました。
寧波大学 外国語学院 日本語科 4年 劉琳 (団体戦優勝)
友好を深くする道へ
優勝カップを捧げた時、私は胸がいっぱいになりました。いい成績を取ったのは何より光栄なことで、たいへん嬉しく思っています。クイズ大会という日中友好交流活動に参加した経験があり、中国と日本の間の一本の掛け橋として、大きな責任感を持っていることをしみじみと感じ始めました。両国の友好のために、自分が何か甲斐あることをやらなければなりません。そう思うと、身が引き締まる思いがしました。 確かに、日中関係が今、政治のレベルで、うまく行っていないことは事実です。両国の政府はいろいろな問題について、見解に相違があるようです。でも、幸いに、民間交流活動は相変わらず、頻繁に、うまく行っています。これは日本科学協会などの友好団体のたゆまない努力によりできたものだと思っています。 今回も、日本財団、日本科学協会及び中国各方面の関係者の努力を通して、華東地域第二回笹川杯日本知識クイズ大会が成功裏に開催されました。心より日中友好を願っている私たちにとって、今回の活動は、両国の国民に理解を深めさせる、待ちに待った好機だと言えます。そういう貴重な体験は私の記憶に永遠に残されていくでしょう。今後も、微力を尽くして、日中友好交流に役立つことをうまくやりたいと思っています。
寧波大学 外国語学院 日本語科 4年 徐玉潔 (団体戦優勝)
「日本知識クイズ大会」で結ばれた友情
およそ二ヶ月ほど前、「華東地域第二回笹川杯日本知識クイズ大会」が9月に開催される予定だということを知った時、私はわくわくしてさっさと先生に申し込みを出しました。日本語を勉強してからの三年間、日本語に関する地域的大規模な活動はほとんど行われていなかったです。今回のクイズ大会は私たち日本語を勉強している学生にとって日本を全般的に理解する珍しいチャンスだと存じました。これまでの日本語の勉強はペーパーテストでいい点数が取れるための勉強が圧倒的に多かったです。例えば、語彙,文法、読解、聴解などはそれです。日本国概況や日本文学などの授業は受けることは受けましたが、日本の社会生活の隅々までは勉強しなかったです。でも、今回のクイズ大会を通して、日本人の生の生活に触れたような感じがしました。また、日中両国はずいぶん昔から友好往来の歴史を持った隣国だという実感が湧いてきました。私たち三人の選手は今回の大会で優れた成績が取れるように並々ならぬ努力をしました。大会の半月前から、ほとんど毎日一緒に勉強していました。お互いに質問したり、励ましたりしました。その半月は、もう私たち三人の忘れられない美しい思い出になりました。私は劉さんと陳さんとは違うクラスの人で、もともとは通り一遍の関係で、今は親友になりました。 今回の大会のおかげで、私は知識も友情も得ました。この大会が順調に開催されるように力を尽くした人々に心から感謝の意を申し上げたいです。
寧波大学 外国語学院 日本語科 副院長 張正軍
華東地域における各大学日本語科の行事―「日本語クイズ大会」の感想―
2005年11月には南京市で、2006年9月には寧波大学で「華東地域笹川杯日本知識クイズ大会」が二回開催されました。同じ華東地域にありながら、各大学間の交流が多いとは言えません。「クイズ大会」をきっかけに、日本語を学ぶ学生や教員たちが一堂に会し、日本知識をめぐって白熱した戦いが繰り広げられただけでなく、寧波大会では予選を終えた22日の午後に、「日本語のエリート養成」を題名とする教員たちのシンポジウムをも行われました。日本知識クイズ大会の予選も決勝戦も教員たちのシンポジウムもみな大きな盛り上がりのうちに成功裏に終了しました。 クイズ大会に参加した選手たちは各大学から選ばれたエリートで、近い将来には各レベルにおける対日関係の担い手になり、そんな行事が行われて、特に優勝者が日本へも招待されて、そんなことをとおして、中国の若い大学生の対日友情が着実に育っていって、日本科学協会からの贈書を勉強して、日本に対する理解を深め、日本語を学ぶ意欲を高めると思っています。 教育は100年の計であり、贈書を活かして、日本知識をより多く頭に入れて、来年も再来年も「日本知識大会」を行いましょう。大会の準備、運営は苦労ですが、いつまでも「クイズ大会」が続けられ、日本語学部の年中行事にしてもらいたいです。それはまさに日中民間交流史を作っているのではないかと思っています。